第3エリア合同例会

第3エリア合同例会がシーホークで行われた。昨年は、東日本大震災の影響で中止となったので、2年ぶりの開催である。福岡JCからも150名程の登録だったようだ。例年よりも多いようだが、通常の例会に比べるとやや少ないだろうか。さて、日本JCの本年度の基本方針が大竹ブロ長より説明があり、その後福岡ブロックの各グループより委員会の説明があった。各委員長さん達も趣向を凝らし、また一生懸命プレゼンをされていた。福岡JC輩出の城島特別委員長の時の声援が少なかったのは心残りであるが…。理事長挨拶でも話したが、5月には糸島JCさん主管の福岡ブロック会員大会、10月には北九州JCさん主管の全国会員大会がそれぞれ行われる。特に全国会員大会は副主管である。よくよく考えてみると、私達現役メンバーは副主管という経験をしたことがないんではなかろうか。そういう意味においては、今回の副主管は新たな経験である。先日の会頭座談会の際に大阪JCの近藤副会頭が2010年の世界会議大阪大会の時の話をされていた。大阪大会では副主管LOMに1NOMを担当してもらったとのこと。この仕組みにより各LOMも非常に盛り上がったらしい。種を明かすとこれは、2004年の世界会議福岡大会を参考にしたとのこと。今度は逆に私達福岡JCも今回の副主管という機会を活かし、何らかの気づきや学びを得たいものだ。

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気配り

JCに入会して様々な事を経験する。そんな事当たり前だ!と言われるかもしれないが、出欠一つにしても昔はよく委員長に言われていたものだ。最近は、入会歴が浅くてもスタッフに抜擢されることが多い。是非考えてみて欲しい。例えば、委員会や例会の出欠でメーリングリストを使っていると思う。その際、欠席の場合、どのようにしているだろうか。私がメンバーの時、欠席とメーリングリストで送った時にやかましく怒られたことがある。「欠席は仕方ない、ただ、周りのメンバーに対する配慮をし、直接広報幹事に連絡しろ!」と。自分一人の行く行かないというものが周りのモチベーションにも影響するということだ。また、出欠依頼やその他の連絡をするときに、返信する人がなるべく手間がかからないような書き方をすること。例えば、丸をつけるだけですぐに返信できるようにすることや、1ヶ月の又は1年の予定を一覧表にしていつでも見ることができるようにしておくこと。これらのことは、全て受け取った側の立場に立ってわかりやすい、やりやすいように配慮することである。特にスタッフをはじめ役職に就いたということは、人のお世話をする機会をたくさん頂いたということである。気配りというものは何のためにやるのかが分かっていないと出来ない。せっかくの機会だ。様々な工夫を凝らして周りに対する気配りというものを身につける絶好のチャンスである。是非、自らの成長のためにいかしてほしい。

4月度正副理事長会議

本日は、4月度の正副理事長会議が開催された。早いものでもう4回目だ。残すところあと8回しかない。一回一回の会議が本当に重要になってくる。さて、今月は1つの事業報告と10の事業計画が上程された。報告議案は割愛するが、全ての事業計画に共通していることがある。恐らくは、委員長以下委員会全体でしっかりと調査研究しているのであろう。ただ、それを他の人に伝えるものが事業計画である。調査・研究の結果、この目的を達成するために、どのような手法を使い(内容)そしてその目的が達成できたならば、このような効果あるというのを論理的に組み立てていかなければならない。そこが今回の上程には少し足りなかったような気がする。真剣に一生懸命取り組めば取り組む程、迷路に陥るような事がある。そんな時は、多くの人の意見を聞くといい。本質さえ間違えてなければ、どうとでもなるはずだ。委員会の熱い思いを是非、かたちに変えてほしい。

墓参り

本日は、父方・母方・親戚の3カ所のお墓参りに行った。家族全員で行ったのだが、今自分が生きているのは、隣にいる両親が存在しているからであり、またお互いの両親がいてそのまた両親と、ずっと続いているものである。そして私と妻がいるからこども達が存在している。その流れというか一つ一つの時代を生きてきたからこその連続性であり、その一部分に自分がいるだけなのかと思うとご先祖様に感謝し、またこども達にも感謝する。そんなことを思いながら手を合わせた一日であった。

理事長対談?

福岡青年会議所は、毎月発行されているふくおか経済に1頁記事が掲載される。本年度は広報渉外特別委員会の担当だ。次の企画では、第50代理事長である岩本仁先輩と私の対談ということなので岩本先輩をお伺いさせて頂いた。テーマは4つ程あったが、①10年前と今の福岡のまちの違い(国際化という点で)②10年後の福岡は?という2点に絞られた。対談という事であったが、ほとんど岩本先輩へのインタビューという形だった(笑)その中で、JC的にはやはり世界会議を主管することにより大きな変化があったとのこと。それまで、世界会議に参加することなどほぼなかったらしい。しかし、今は人数の増減はあるにせよ、委員会の所務に世界会議に関する事項が必ず入っているし、世界会議に参加する事は特に珍しい事ではなくなってきているのが現状である。また2010年度は国内において福岡市は国際コンベンション開催回数が東京に次いで第2位である。ハードはかなり国際化されてきているようだ。ただ、語学力特に英語力という点では、まだまだであると言われていた。お仕事柄特にそう思われる点があるとのこと。次に10年後の福岡というテーマであるが、これについては、今後福岡がどんなまちを目指すのかを明確にする事が大事であるし、国際化という事であれば、空港問題やさらには福岡市の名称(特に英語表記の場合について)等も議論してみる価値はあるということだった。なるほど、昨年広報誌に掲載させて頂いた秋元康氏のAKBやHKTもそんなところまで配慮したネーミングかもしれない。1時間程の時間だったが、最後には人が集まるまち、特に若者が集まるまち、そんなFUKUOKAになればというところで対談は終了した。どんな紙面になるのか楽しみだ。広報渉外特別委員会の手腕に期待。
岩本先輩、ありがとうございました。