じゃがいも&47年会

第3回福岡jcじゃがいもが芥屋ゴルフクラブで開催された。今回が今年最後であり、前回の失態を挽回すべく親睦委員会がしっかりと動いていただいた結果、キャンセルが数名でたものの何と!98名の参加であった。月末のお忙しい中、ご参加いただいた先輩方、現役メンバーに感謝です。これだけ多いとし盛り上がるし、なんと言っても先輩方との接点が増えることが趣味の会の意義である点において、大成功といえよう。ただ表彰式の中でN先輩よりいただいた久しぶりの焼酎の“生”は非常に効いた!その後、47年会に参加するため、市内へ戻った。こちらも親睦委員会の設営。ダブルヘッダーで本当にお疲れ様である。ありがとう。47年会も今回で最後。あと2週間程で送る夕べだ。卒業生同士懇親をはかり、有意義な時間をすごした。一つ一つ行事が終わる度に卒業ということを強く意識する今日この頃。最後まで充実したJCライフを満喫したいと思う。

47年会

送り出しに向けて

世界会議に出発する直前に、闘病中の山川先輩からお電話をいただいた。久しぶりに聞く声は元気そうだった。今は少し調子がいい時期かもしれない。「もうすぐ理事長も終わりやね?どうや?」と。そして「送る夕べまでに退院ができそうにない。お前の卒業なのにすまん。」との言葉だった。涙が出た。抗がん剤治療は想像を絶する苦しさと聞く。また本人も「結構きついよ。」と言われる。そんな状態で、わざわざ電話をかけてきてくれたのだ。自分に置き換えてみると、そんな言葉がでるだろうか。見た目はコワい人だが心はすごくきれいで優しい人である。現役最後の年に同じ委員会でご一緒させていただいた時も厳しく指導いただいた。酒の飲み方、JCとは。今の私の土台になっている。その一方で毎年誕生日に連絡をくれたり、とにかく優しい人なのだ。何とか病気に勝ってもらいたい。ご一緒させていただいた、06年庄嶋(兄)委員会の送り出しは、来年2月か3月にしていただけそうである。山川先輩には「送り出しには必ず元気になって来てください」と約束した。

フットワーク

昨晩、福岡に帰ってきたので久しぶりにゆっくりとしよう!子ども達と遊ぼう!なんてことを考えていたら、ある方からの電話。時間は08:45。「出てこれる?」との事。断る理由もないし、出掛ける事にした。まあ、昼過ぎには帰ってきたのだが…。私の中で学生時代から心掛けていることがある。それは、“誘われたら、なるべく断らない。誘われるうちが花である”ということだ。学生時代から、先輩に夜中に呼び出され、何度も深夜のまちへ繰り出した。JCに入ってからもそのスタンスはあまり変わっていないと思う。最近は呼び出されることも少なくなったが(笑)ただ、誘う側から言うと、誘っていつも来る人は可愛いものだし、また会いたいなと思う。反対にいつも断られると、「誘うと悪いかな?」とか「どうせ来ないだろうな?」と思うものである。もし都合がつけば、飲みだろうが、ゴルフだろうが、講演会だろうが、誘われるままに動くことをお勧めしたい!それも機会を得ることに違いないのだから。フットワークが軽い人は、多くの機会を得ている人なのだ。

世界会議7日目

7日目というより、帰福の日である。1週間も福岡を離れたのは昨年の世界会議ブリュッセル大会以来だった。昨夜?今朝?は遅かったので今日もゆっくりめの起床&ブランチ。最後はやはり小籠包。今回は長い滞在にも関わらず、あまり食べてないのでリクエストさせてもらった。また、井上委員会も合流してくれて大いに盛り上がった。これで本年度の大会&遠出が全て終了した。1月の京都会議に始まり、5月の広島定期交歓会、6月のASPAC 香港大会、7月のサマコン、8月の九州地区大会、10月の全国大会そして世界会議 台北大会…。次年度段階から理事会構成メンバーに言い続けてきた、我々が“背中”を見せよう!ということが実践できたと思う。そしてその想いについて来てくれた全ての皆さんに感謝したい。ありがとう。残す事業は、「卒業生をお送る夕べ」のみである。最後まで“背中”を見せ続けていこうではないか。

世界会議6日目

いよいよ世界会議も本日で終りだ。夕方の解団式までフリーなため、庄嶋・青柳両顧問、下田室長、笠室長と理事長チームでブランチした後は、マッサージ組、買い物組に別れた。さて、解団式に出席。昨日のジャパンナイト以降は、2013年度体制に切替わり、設営も2013年度の国際グループである。来年副委員長として出向する大西久恵君もしっかりと参加していた。世界会議も残すはGALAだ。会場の雰囲気は微妙だったが、世界中のJCメンバーが集まるGALAを卒業の年にしっかりと楽しめたことには感謝である。終了後も参加したメンバーと食事に行き、最後の最後までお付き合いいただいた。