2012-11-07
1月以来、2回目の委員会訪問を先月からさせていただいている。最後の仕上げの時期に来て各委員会の雰囲気を確かめたいこと、そして世界会議の案内も行うことが目的である。本日の60周年交流・教育問題・親睦の3委員会で全ての委員会を回らせていただいた。事業が終了した委員会、事業直前の委員会と様々であるが残り2カ月頑張ってほしいと思う。さて、世界会議のLOMナイトの案内の際にもお話ししたが、今年は各委員長・副委員長を筆頭に本当に各種大会に参加いただいており、各LOMナイトも大いに盛り上っている。 京都会議(京都)? 124名 、広島定期交歓会(広島)? 80余名 、ASPAC(香港)? ?80余名 、サマコン(横浜)? 104名 、全国大会(北九州)? 148名 。 これが今年のLOMナイトの参加人数だ。驚嘆すべき数字である。こんな経済状況の中、一人ひとりのメンバーがしっかりと参加してくれている。本当にありがたい限りだ。そして世界会議台北大会。最後の盛り上がりとして、多くのメンバーで台北に行こう!そして史上最大のLOMナイトをやろうではないか!
2012-11-06
午後よりAPCC支援の会理事会が開催された。今夏の事業報告と決算報告がなされ、来年の25周年の内容についても少し説明があった。これまで8,000人を超える11歳のこどもたちがこの福岡に訪れているのだ。改めて24年間の実績の凄さを感じた次第である。会議終了後に、少し残るように言われ、25周年実行委員会に参加した。JC側からは、次年度担当副理事長である、下田君、次年度担当室長の藤君、次年度担当委員長の藤田君、清水君と次年度OBである、庄嶋顧問と私である。庄嶋顧問はすでに組織図の中に入っていた。20周年の時も担当委員会の副委員長だったので、こども会議については、知識も経験もあるし当然の人事と言えよう。てなことを考えていると、私の名前が微妙なところに記載してあるではないか。う~ん、何も聞いていない…。会議が進むうちに次の公務(福岡市総合計画審議会)があったので、途中退席した。私の来年は大丈夫だろうか(涙) どなたか、私の退席後の内容を教えてください!
2012-11-05
11月度の理事会が開催された。今月からベイサイドプレイスが使用出来なくなったため、電気ビル会議室での開催となった。さて、今月の理事会は、審議議案4件、協議議案4件、討議議案が2件であった。その4件の審議議案のうち1議案で反対票があがった。当然、質問や意見をした上でのことであり、事業内容そのものというより、検証がしっかりとなされていないため、賛成しかねるという理由だった。私はこの反対票を投じた方に感謝したいし、また自分自身、猛省をした。どこかで妥協してなかっただろうか。あと残り1ヶ月でもっと議案の精度を上げて、上程させるべきではなかったか。正副理事長会議、常任理事会と100%の機能を果たしているだろうか。考えさせられた。私の甘さがこのような事態を生じさせたのかもしれない。反省とともに以後このようなことがないようにするには、一瞬一瞬を大切にするしかないのだ。あらためて残りの2ヶ月を全力でやります。
2012-11-04
長男が来春、小学校一年生になるため両親から買ってもらったランドセルが届いた。最近の例に漏れずネット通販。さて、息子から「ランドセルって、何でランドセル?」というど真ん中ストレートのような質問があったので、ネットで調べてみた。以下、Wikipedia 引用。
ランドセルは、オランダ語の「ランセル」がなまって「ランドセル」になったらしい。明治時代には陸軍の背嚢として採用され、通学鞄としての採用は、学習院小学校が最初で、後に伊藤博文が当時皇太子だった大正天皇の学習院初等科の入学祝い品として献上し、それがきっかけで世間に徐々に浸透して今のような形になったとされる。
明治時代は維新というだけあって、それまでの鎖国政策を行なってきた江戸時代からの大きな変革が行なわれた時代であり、外国の様々な文化が取り入れられている。ちなみに「体育」という言葉も明治時代に入ってきて、「富国強兵」のために始まったのだ。現在の“体育”と“スポーツ”の違いも歴史を見れば納得出来ることがある。今、当たり前と思っているものや普通に使っているものは、実は意外に歴史が浅い事が多いのではないか。横道にそれたが、ランドセルの形状は私が子どもの頃と対して違わないが、色も多様になり、機能も向上しているようだ。来年4月から6年間大事に使って、元気に育って欲しい。
2012-11-03
2012ゴールデンオールディーズ・ワールドラグビーフェステバル福岡が閉幕した。試合は、昨日までで本日はフェアウェルパーティーがマリンメッセで開催された。会場は、デカい外人さんでいっぱいだ。バンドのエンタメからいつ始まっているか分からない感じが何となく心地よい。ASPACや世界会議のGALAをもう少しカジュアルにした感じだろうか。会場の真ん中にはテーブルが置いてなく広いスペースがある。これは、参加者が自由にダンスをするスペースだった。28日から始まったこの大会期間中、多くの大きな外国の方々が福岡のまちを歩いていたのを見かけたはずである。このような大会を通じ、世界の方々に“FUKUOKA” というまちを知ってもらい好きになってもらいたいと思う。そのためにも、我々も仕掛けていこうじゃないか!
フェアウェルパーティー