スマートフォン

「iPhone5」が発表された。4sとの違いは、画面が大きくなり、薄く軽くなり通信や処理速度もかなり速いとのこと。先月iPhone4sを購入した私は先を見る目がなかった(笑)さてさて、スマートフォンだが携帯電話の主流になっている。自分の周りを見ても普通の携帯を持っている方の方が少ないように見受けられる。web閲覧やメールぐらいならpcも必要ないくらいのレベルである。ただ、あまりにも便利すぎて、頼り過ぎているような気がする。以前も書いたが、コミュニケーションの度合いから行くと、 直接会う→電話で話す→メール(facebook、LINE等) という順序だろうが、先日こういうことがあった。ある方からfacebookでメッセージが届いていた。こちらの都合を聞いてこられていたのだが、気がつくのが遅くその日時をとうに過ぎていた。すぐに電話してお詫びしたのだが、メールやfacebook、今流行りのLINEにしても相手が気づかなければ発信していないのと同じである。発信する内容の重要度や時間的な制約等考えたうえで最良の情報発信ツールを使用することが必要である。どれだけ便利になっても使うのは人間だ。時と場合によって使い分ける、使う側の力量によってすごく便利になったり、逆に不便になることもあるのではないか。今後次々に新製品が市場に投入され、その度に我々は影響を受けていくのであろう。電話が「smart(賢く)」なればなるほど、我々使う側も「smart(賢く)」にならなければならない。

体育

福岡にあるのかどうかはわからないが、東京では体育家庭教師なるものがあるらしい。体育が苦手で学校生活で自信がもてない…。そんな小学生に運動のコツを教える家庭教師だそうだ。なんと、都内には50社を超える派遣会社が存在しているとのことだ。かけっこに逆上がりや水泳、ドッジボール等々。う~ん、どうなのだろうか。こういうものって、特別教わるものだろうか。体育の授業もそうだが、どちらかというと遊びの中で覚えるものではないのか。私は体育が苦手な方ではないのでそう思うのかもしれないが。何度もブログに登場している、アビスパ福岡の下田専務と話をする中で、日本のスポーツということについてよく議論したことがある。スポーツという単語が日本に入ってきた時に訳したのが「体育」だったらしい。そしてその体育はどちらかというと自己鍛錬、つまり精神的・肉体的に自らを鍛えるものとして行ってきた。勿論、明治時代の富国強兵と言う国の方針に沿ったものでもあろうが。しかし、本来スポーツとは「遊び」である。楽しみながら、遊びながら覚えていくこと。ということならば、まずは、この「遊ぶ」ということに目を向けなければならないのではないか。子どもたちが、自由に遊べる環境の整備。場所の問題、安全性。体育家庭教師の前にやらなければならないことがあるような気がするのだか…。

9.11

全世界に衝撃を与えた、アメリカ同時多発テロが発生して11年が経つ。当時は映画でも観てるのかと錯覚する程の信じられない光景であった。今年のアメリカの新聞の一面にあれから初めてこの9.11の事が掲載されなかったらしい。この事件そのものについては、忘れてはならないことであるが、ジャーナリズムということになると一面に掲載する役目、あるいは意義が終わったということである。3.11の東日本大震災から1年と半年。まだまだ復興が終わった訳ではないし、今でも大勢の被害に遭われた方が元の生活に戻すために一生懸命努力し、また苦しんでいる。ニュースとしての意味はその分野の人々が考えればよいが、我々日本国民として忘れてはならない、風化させてはならないものである。私達に出来る事を継続的に行っていこう。一人ひとりの小さな一歩が必ずや東北の復興、日本の復興につながるのだから。

HAKATA-THINK-ING

?本年度の福岡JC広報紙である「HAKATA? THINK-ING」が発行された。今年の特徴として、外部媒体とのコラボということで月間はかたさんに協力を頂いている。テーマは「種」である。どのよな新しい「種」を撒くことができるのか、また根付かせることができるのか、そんなことを考える一助となればと思っている。

HAKATA THINK – ING

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頼まれるということ

JCに入ると、委員会・派閥・趣味の会等様々な括りがある。その中で妙に頼まれることが多い人がいないだろうか。「今度の飲み会の設営よろしく!」とか「お前は○○担当ね!」とか挙げればきりがないと思うが。これは何を意味しているかというと、頼まれることが多い人は、お願いしやすい人であり、「頼むんだったらあいつに!」という安心感・信頼感を感じることができる人だということである。最初は雑用に近いものかもしれない。しかし、それを快く「はい!」と言ってやることにより、次から次に「頼まれごと」が多くなる。最終的には、「あいつに頼んでおけば心配ない!」とまでなるはずである。こうなったらしめたものだ。JCには「機会」という言葉がよく出てくるが、「頼まれごと」が多い人は学ぶ・経験する「機会」が多い人ということになるのだ。このような前向きな気持ちで取り組むと、雑用すら楽しく思えてくるはず。最後に素晴らしい言葉があったので紹介しよう。

「頼みごと」は未来からの贈り物であり、これを快く引き受けていくうちに、すばらしい将来が開かれる。