2012-09-16
私事で恐縮であるが、恩師が亡くなられた。退院したのは聞いていたので少し安心をしていたのだが。私の人生において大きな影響を与えていただいた一人だ。この先生は、中学校の野球部の顧問で体育の先生である。当時の野球部は2学年上が全国大会に出場し、1学年上が元阪神タイガースの新庄さんがいて、私達の時は九州大会まで行った、まあ地元では強豪として有名な中学だった。中学生の部活はほとんど指導者によってどうにでもなる。先生は、もともと野球経験者ではなく、サッカー選手だった。つまり野球についてはど素人。そんな先生が、福岡県では有数の強豪校にまで押し上げたのは、並々ならぬ情熱と生徒に対する愛情だと思う。とにかく、厳しい。1年の最初の練習日は元旦である。陸上部以上に走る毎日。試験中の部活の練習が休みの時も、ユニフォームではなく、体操服で走らされる日々。また私ともう一人の生徒は、毎日自主練習日誌を書かされていた。家でのトレーニングを書く日誌である。いつもはランニングをするのだが、ある日豪雨だったのでその日は中止にすると、翌日烈火のごとく怒られた。先生「なぜ、走らない!」→末松「豪雨だったので」→先生「それがどうした!走るのに何か関係あるのか?」→末松「いえ…」こんな調子だ。いい訳をしない。できない理由をつくらない。やらされる事とやる事の違い。そんなことを肌で感じた毎日の部活だった。今では問題になるであろうが、殴られたり、蹴られたり。尻バットでバットが折れたこともあった。しかし、本人も親も一言も文句は言わない。なぜならば自分が悪いことは理解しているからだ。無論、体罰を肯定しているわけではないが、当時は体罰とも思わなかったし、今もなお思っていない。それは愛情があるから。7月度の例会で平尾誠二さんに講演いただいた時、共感するとところがあった。「リーダーはリスクをとらなければならない」本気で相手を想い、本気でぶつかる。まさにこのことがリスクをとることではないだろうか。通夜・葬儀とも受付をさせていただいた。多くの弔問に訪れる方々を見ると、この先生はやはりリーダーであった。偉大なるリーダーであった。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2012-09-15
政府は、2030年代に原発稼働ゼロという目標を掲げたエネルギー戦略を決めた。経済界からの反対や光熱費が上昇するという国民の生活に直接する問題はクリアしなければならないし、具体的な道筋も明らかになっていない。民主党政権は、「決められる政治」という言葉をよく使っている。しかし、そもそも政治家は「決断」することが仕事ではないのか?トヨタが「走る車をつくります」と言うだろうか。国民の負託と信頼を得て、国民のために様々な課題の解決に力を注がなければならない。課題・問題を見つけ、目標を設定し、その目標をクリアするためにあらゆる手法(施策)を用い、達成していく。そこには、揺らぐことのない信念としっかりとした背骨のような軸がなければならない。勿論、具体的な計画(工程)も必要である。あらためて今の政治を見ていると本当に仕事をしているのか?と思いたくなる。彼らは、この日本をリードする、まさしくリーダーでなければならないはずだ。問題は山積みだ。領土問題、エネルギー問題、経済・財政…。民主党、自民党の代表選挙が行われる。真のリーダーを期待したい。そして私たち青年世代がもっと政治に関心を持とう。そんなに時間はないはずだ。
2012-09-14
既に多くの方がご存じのことかと思うが、s41年生の山川一俊先輩が白血病を患い、現在闘病中である。大変ショックをうけたが、本人・ご家族の方は計り知れないほどのショックだったであろう。つい先日一時退院されていたので、先輩方の呼びかけにより激励会を開催し、参加してきた。現在は治療も順調にいっているようである。ただ、また来週から入院ということで、完治まではまだまだかかりそうだ。また今回の件で多くの方からの支援について心から御礼を述べていらっしゃった。何とか頑張ってもらいたいと心の底から思う。さて、今回の支援については、あらゆる関係から連絡が来ていることと思う。過去の所属委員会や派閥、個人的な関係。とにかく関係各所に支援のお願いの文書がまわってきているはずだ。JCは利害関係もなく、社会的地位などの関係なく、一人の人間としての心と心のつながりがが基本である。その太い根っこの上で我々はまちのため、社会のために活動しているはずだ。仲間が窮地に追い込まれている時にこそ、一人ひとりができることを、あらゆることをやることが大切なことであり、その「繋がり」こそが脈々と流れているJCの精神そのものであると思う。変わらないもの、変えてはならないものは、まさにこの事だと思う。一人のJCメンバーとして継続的な支援をお願いしたい。
2012-09-13
「iPhone5」が発表された。4sとの違いは、画面が大きくなり、薄く軽くなり通信や処理速度もかなり速いとのこと。先月iPhone4sを購入した私は先を見る目がなかった(笑)さてさて、スマートフォンだが携帯電話の主流になっている。自分の周りを見ても普通の携帯を持っている方の方が少ないように見受けられる。web閲覧やメールぐらいならpcも必要ないくらいのレベルである。ただ、あまりにも便利すぎて、頼り過ぎているような気がする。以前も書いたが、コミュニケーションの度合いから行くと、 直接会う→電話で話す→メール(facebook、LINE等) という順序だろうが、先日こういうことがあった。ある方からfacebookでメッセージが届いていた。こちらの都合を聞いてこられていたのだが、気がつくのが遅くその日時をとうに過ぎていた。すぐに電話してお詫びしたのだが、メールやfacebook、今流行りのLINEにしても相手が気づかなければ発信していないのと同じである。発信する内容の重要度や時間的な制約等考えたうえで最良の情報発信ツールを使用することが必要である。どれだけ便利になっても使うのは人間だ。時と場合によって使い分ける、使う側の力量によってすごく便利になったり、逆に不便になることもあるのではないか。今後次々に新製品が市場に投入され、その度に我々は影響を受けていくのであろう。電話が「smart(賢く)」なればなるほど、我々使う側も「smart(賢く)」にならなければならない。
2012-09-12
福岡にあるのかどうかはわからないが、東京では体育家庭教師なるものがあるらしい。体育が苦手で学校生活で自信がもてない…。そんな小学生に運動のコツを教える家庭教師だそうだ。なんと、都内には50社を超える派遣会社が存在しているとのことだ。かけっこに逆上がりや水泳、ドッジボール等々。う~ん、どうなのだろうか。こういうものって、特別教わるものだろうか。体育の授業もそうだが、どちらかというと遊びの中で覚えるものではないのか。私は体育が苦手な方ではないのでそう思うのかもしれないが。何度もブログに登場している、アビスパ福岡の下田専務と話をする中で、日本のスポーツということについてよく議論したことがある。スポーツという単語が日本に入ってきた時に訳したのが「体育」だったらしい。そしてその体育はどちらかというと自己鍛錬、つまり精神的・肉体的に自らを鍛えるものとして行ってきた。勿論、明治時代の富国強兵と言う国の方針に沿ったものでもあろうが。しかし、本来スポーツとは「遊び」である。楽しみながら、遊びながら覚えていくこと。ということならば、まずは、この「遊ぶ」ということに目を向けなければならないのではないか。子どもたちが、自由に遊べる環境の整備。場所の問題、安全性。体育家庭教師の前にやらなければならないことがあるような気がするのだか…。