2012-11-30
一発目の送り出しをしていただいた。2009年に卒業された河野太郎先輩である。当時、事務局長として大村理事長チームで活躍されていた河野先輩とは、地区大会実行委員長として理事長チームとともに行動することが多かったこと、また同じ常任理事として常任理事会後の懇親会を常に開催していたので、仲良くさせていただいていた。当時卒業の時に、私が二人きりでの送り出しを設営させていただいたので、そのお返しにと設けていただいたのである。純粋に一緒に飯を食うだけで楽しい先輩である。「今日はぐーふーバイ!」そんな河野先輩の一言から二人きりの宴は始まり、美味しい料理を楽しみながら、当時のことから近況まで、様々な話をした。そして卒業を迎えるにあたり、どんな気持ちかを聞かれたのだが、その答えは河野先輩も全く同意見であった。それは、“感謝する気持ちを教えてもらった”ということである。JCに入って家族や会社、先輩、私がご縁をいただいた方々に心の底から感謝している。素直にこの“感謝”という言葉が口から出るようになったことは、本当にありがたいことだと思う。今後の人生において、このことを教えていただいたJCにまさしく“感謝”である。清々しい気持ちに浸りつつも、二人して中洲のまちに繰り出したのだった。しかも3軒も(笑)河野先輩、昨夜は何から何までお世話になりました!
2012-11-29
第4回のぼうふら会が開催されるということなので、挨拶に…。がしかし、18:30からの開会を19:00と勘違いしてしまい、会場に着いたのが18:45。もう既にプレー?競技?は始まっていた。邪魔をするわけにはいかないので、倉重会長にお詫びを申し上げ、退席させていただいた。日時の間違いは、これで今年2回目。本当に申し訳ありませんっ!気が緩んでいるわけではないつもりだが、どこかで予定管理が疎かになっていたかもしれない。大大反省である。残り僅かだが、以後このようなことのないように気をつけたい。倉重会長をはじめといたします、ぼうふら会の皆様、第4回のぼうふら会の開催、誠におめでとうございました。そして申し訳ありませんでした。
2012-11-28
本日は、午後から60周年記念誌に掲載する、高島市長と田川次年度理事長そして私の3者対談を行わせていただいた。高島市長とは今年も何度かお会いする機会があったが、いずれも挨拶程度終わってしまった。高島市長も言われていたが、もっと積極的に絡むことができればと思った。年も近く、JC世代である高島市長ともっとさっくばらんに話す機会を作れなかったのは私の責任だ。その課題は田川次年度の託すとしよう。さて、夕方からは今年最後の12月度常任理事会が開催された。1月度以来、久しぶりの議長を務めた。審議事項、討議事項のみであったが、褒賞議案については、今一度理事会構成メンバー、特に委員長の皆さんにお伝えしたい。何の為の褒賞であるのかをもっと考えてほしい。会員奨励賞、拡大奨励賞、出向者奨励賞。これらは、一年間常にメンバーを見てきた委員長が「頑張ったな!ありがとう。もっとガンバレよ!」と感謝と期待を込めて送る賞である。そのせっかくの機会をみすみす手放しているのは何故か。非常にもったないし、権利の放棄だと思う。しっかりと考えてほしい。意味のないものであるならば、やめるなり、その理由をしっかりと自分の責任において伝えるべきだ。福岡JCの良さはとことんメンバーと向き合うことができる事、それを続けていることだと思う。メンバーの成長の機会を是非、作って欲しい。
2012-11-27
第3回福岡jcじゃがいもが芥屋ゴルフクラブで開催された。今回が今年最後であり、前回の失態を挽回すべく親睦委員会がしっかりと動いていただいた結果、キャンセルが数名でたものの何と!98名の参加であった。月末のお忙しい中、ご参加いただいた先輩方、現役メンバーに感謝です。これだけ多いとし盛り上がるし、なんと言っても先輩方との接点が増えることが趣味の会の意義である点において、大成功といえよう。ただ表彰式の中でN先輩よりいただいた久しぶりの焼酎の“生”は非常に効いた!その後、47年会に参加するため、市内へ戻った。こちらも親睦委員会の設営。ダブルヘッダーで本当にお疲れ様である。ありがとう。47年会も今回で最後。あと2週間程で送る夕べだ。卒業生同士懇親をはかり、有意義な時間をすごした。一つ一つ行事が終わる度に卒業ということを強く意識する今日この頃。最後まで充実したJCライフを満喫したいと思う。
47年会
2012-11-26
世界会議に出発する直前に、闘病中の山川先輩からお電話をいただいた。久しぶりに聞く声は元気そうだった。今は少し調子がいい時期かもしれない。「もうすぐ理事長も終わりやね?どうや?」と。そして「送る夕べまでに退院ができそうにない。お前の卒業なのにすまん。」との言葉だった。涙が出た。抗がん剤治療は想像を絶する苦しさと聞く。また本人も「結構きついよ。」と言われる。そんな状態で、わざわざ電話をかけてきてくれたのだ。自分に置き換えてみると、そんな言葉がでるだろうか。見た目はコワい人だが心はすごくきれいで優しい人である。現役最後の年に同じ委員会でご一緒させていただいた時も厳しく指導いただいた。酒の飲み方、JCとは。今の私の土台になっている。その一方で毎年誕生日に連絡をくれたり、とにかく優しい人なのだ。何とか病気に勝ってもらいたい。ご一緒させていただいた、06年庄嶋(兄)委員会の送り出しは、来年2月か3月にしていただけそうである。山川先輩には「送り出しには必ず元気になって来てください」と約束した。